月さえも眠る夜〜闇をいだく天使〜

19−2.虚無の中の夢(2)



彼女は彩やかな世界にいた。

百花繚乱とは、まさにこういう事を言うのだろう。
様々な花が色とりどりに咲きほこり、渡る風に答えるかに愛らしくゆれる。
どこからか水の流れる音がする。背後を振り返ると、そこは清らかな水がちいさなせせらぎをつくっていた。
少女は天を見上げる。
それは、不思議な空だった。
真昼の蒼穹と、真夜中の藍が水に流した墨のようにまじりあっている。
昼の部分には太陽が、夜の部分には月と星がそれぞれに輝く。
地平の部分は曙に、又、反対の地平は黄昏に色づいていた。
再び、向きをかえ、遠くの森を見ると、そこは雨でも降っているのか、淡いみどりにくすんでいる。

自分をとりまく大気さえ、甘やかな色に染められているように感じる。
この世界には、宇宙の自然界の色、すべてが詰め込まれていた。

なんて、なんて美しい風景。
少女は思った。
ここは、いったい?

少なくとも見覚えの無い風景。
現実にはありえない風景だ。
彩やかで、優しく、安らぎに満ちた、それでいてどこか悲しい風景。
そう、悲しいのだ。
何故だかわからないが、この風景はあまりに美しく、切ない。
まるで遠い、昔を想い出した時にみる夢のよう。
あったかいのに切なくて、心が締めつけられるような、そんな感じ。
失った恋を想い出すような、そんな感じ。

……?『想い出す』? そういえば私、何か想い出さなければいけないことあったんじゃなかったっけ?
ふいにそんなことを思い、彼女は一生懸命考える。 そうよね?
あ、そうそう。
帰らなきゃいけないんだっけ。
どこへ?
えーっと、さっき、誰かの名前、想い出したわ。
ロザリア。
そう、そうだったじゃない。
私、陛下の代わりにここに来てたんだわ。
で、これから聖地に帰る、と。
……?
これだけだっけ。もっと何かなかった?
何か、ほら、あったはず。
とても、とても大切な約束。
そのためだけに帰らなくてはならないような、大切な約束。
なんで想い出せないの ――?

まるで記憶の一部をぽっかりと落としてしまったようにいくら考えてもわからない。
まるで、私、誰かに試されているみたい。
ふと、そんな考えが頭をよぎったが、何故そう思ったかは自分でも謎だった。
でも、この空間を支配している意志
―― そう、明らかに何者かの意志がこの空間ではたらいている。
それが彼女に問いかけるのだ。
あなたの想いの強さを、私に教えて、と。

どうしよう、このままじゃ、きっと、私帰れないわ。
頭をかかえてしゃがみ込んでしまう。
ふいに、さきほどのかつて愛した青年の言葉を思い出す。
彼は「行きなさい」と言っていた。でも、今の自分に、どうやったら望む場所へ返れるのかまったくわからない。
第一、私は何処へ返りたいの?
―― 誰の所へ返りたいの?
その時、小さな花が視界に入った。
神秘的な紫の可憐な花が、露に濡れて揺れている。
なんて、綺麗な色。
なんて、懐かしい色。
懐かしい?
自分の思考にはっとする。
そう、思い出した。
私は帰らなければいけないのだ。
あのひとのもとへ。 懐かしい、この色の、瞳の。

その名前を想い出した時、アンジェリークの体は白色の光に包まれていた。
ああ、終わったんだ。
そう思い、薄れゆく意識の中で、彼女はやさしい少女の声を聞いた気がした。

―― あのひとを、よろしくね。
と。


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「余計なお世話その4」
このシーンの風景描写過去にもあったことお気づきでしょうか。
また、アンジェリークに語り掛けた少女の正体が解からない人は
月さえも眠る夜〜闇をみつめる天使〜
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